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序論

フランス史において,大量の文書が出版された時期が3回ある. 16世紀後半の〈宗教戦争〉,17世紀半ばの〈フロンドの乱〉,そして18世紀末の〈大革命〉である.この小論が取りあげるのは,〈フロンドの乱〉の時期の文書である.それらは《 mazarinade 》――マザリナード文書――という名で呼ばれる .
とはいえ,「マザリナード文書」は,あまり注目をあびることがない.それにはいくつかの理由が考えられる.ひとつには「洪水déluge」といわれるほどのその量が,歴史研究者の意欲を失わせるからであろう.その種類は4,000とも,あるいは5,000,いや 6,000だともいわれ,永らく正確な数もよくわからなかった.もうひとつの理由はその内容である.高等法院裁決,国王宣言,歌,手紙,通信,戦況報告,誹謗文書,檄文,貼り紙,詩,建白書.言語もフランスの方言,俚言,俗語,隠語,ラテン語,ギリシャ語も混じり,じつにさまざまな文書が集まっている.事実を伝えるものもあれば,捏造するものもある.歴史証言として内容をそのまま信じるわけにはいかない.その点も,歴史家の足を遠ざけてきたものだろう.
そして,むしろ雑多ともいわれかねないこれらの文書に関心を寄せてきたのは,古書市場なのであった.〈フロンドの乱〉の時期からすでにコレクターが存在した.文書が今日まで保存されてきたのはこうした人々の熱心な蒐集活動のおかげなのである.19世紀半ばに出版されたセレスタン・モローによる『マザリナード文書総目録』Bibliographie des Mazarinades(全3巻,1850-1851年) にしても,研究者よりも,コレクターの方によく利用されたのではないだろうか.全種類の文書を記録するという試みは「マザリナード文書」の研究史において初めてのものであり,記念碑的な著作である.その後何度か増補を繰り返しながら,今日に至るまで,それに変わるものは出版されていない.いいかえるなら,研究史においては,それ以後,目だった変化はなかったということである.
ところが,1980年代の後半にふたつの著作によって,「マザリナード文書」をめぐる環境は大きく変化することになった.クリスチャン・ジュオーの『マザリナード:言葉によるフロンド』Mazarinades : la Fronde des mots(1985年) と,ユベール・キャリエの『〈フロンドの乱〉(1648-1653年)の出版物:マザリナード文書』La Presse de la Fronde (1648-1653) : Les Mazarinades(全2巻,1989-1991年) である.
ジュオーの著作は,「マザリナード文書」をコーパスとした歴史社会学的考察である.特徴は,従来の歴史学のように,事実を裏付ける「証言」をそこに求めたのではなく,それらの文書が「何をしたか」に注目したことである.それは「言葉が行為である」という発想に基づいている.コーパスとしての「マザリナード文書」に対する,まったく斬新なアプローチであった.
ジュオーは,この本の最初の一章で,「マザリナード文書」についておよその概観を述べている.そこではコーパスの性質として,これらの文書が「政治思想を語っているわけではない」し,また「世論の反映でもない」ことを明示し,だからこそ,接近の方法を変更する必要があると説明する.これらの文書が何をし,どのように働き,どういう結果をもたらしたかを見ることが重要だと説くのだ.事例を分析した結果,ジュオーは結論で繰り返す.? Les mazarinades sont action, et donc diversité ?(すべてのマザリナードは行為なのだ,ゆえに多様なのである)と .
だが,同時にジュオーは,「この本は,マザリナード文書全体に対するテーズではない.そうではなく,いくつかのマザリナード文書に関する研究である」 と述べると, 5,000もの文書の集積については,正直にこう告白する.「全部を完璧に分析しつくすのに,人の一生で足りるかどうか,私には見当もつかない」のだと .
ところが,そのわずか4年後,「マザリナード文書」全体を対象とした著作が出現したのである.ユベール・キャリエによる988ページの著作だ.しかし,この著作もまた,厳密には,「マザリナード文書とは何か」という問いの立て方はせず,最初の章でその定義の困難さが述べられている.序論ではキャリエの研究の3つの目的があげられている.ひとつは,モローの仕事への批判から,将来的に完全な「マザリナード文書」の総合目録を作ろうとしていること.次に,〈フロンドの乱〉における世論の形成とこれらの文書の関係を明らかにすること,そして最後に17世紀の文芸と「マザリナード文書」の関連を考証することである .キャリエもこれらの文書をコーパスとして選びはしたものの,ジュオーとの相違は,まず徹底してコーパス全体の精査に時間を費やしたことである.それは国家博士論文として結実した.この著作が,「マザリナード文書とは何か」に関しての,現在わたしたちが得られるもっとも詳しい記述となっている. その第一巻目は「世論の征服La Conquête de l’opinion」という副題のもとに,各陣営がどのような文書を出したのかを軸に検証がなされる.「書く」ことが,特に「出版」が行為として内乱の一部を形成するという視点は,前出のジュオーと共通している.第二巻目は「書物とかかわる人々Les Hommes du livre」という副題がつけられ,そうした文書を支えた書き手たち,書店,印刷業者,文書の物理的形態など,当時の出版と流通に関するシステムが記述されている.
このふたりの研究者は,異なる領域から出発して「マザリナード文書」にたどり着いた.ジュオーは歴史学者であり,キャリエは文学研究者である.キャリエが,一般には「政治文書」として扱われるこれらのテクストと関わるきっかけは,レ枢機卿の研究にあった.17世紀は回想録の時代でもある.そして〈フロンドの乱〉の主要人物であるレ枢機卿の回想録を読むには,彼が書かせたり書いたりしたマザリナード文書を参照する必要があった.しかし,歴史学者と文学者が「マザリナード文書」というひとつのコーパスに同時に到達した背景には,フランス歴史学の変化があることを見逃してはならないだろう.
20世紀前半のアナール派の登場によって,フランスの歴史学が対象にする分野は大きく変化した.とりわけ1960年代のアナール派第3世代といわれる歴史学者たちは,積極的に人々の生活・文化に研究領域を広げていった.そうした歴史学の変化のなかで,印刷物の社会的影響が注目を浴び,大きな成果を残すようになった.とりわけ書物や読書の歴史をめぐるロジェ・シャルチエの功績は大きく,テクストが「意味をもつ」のは,紙の上だけでないことを示した.その著書『フランス革命の文化的起源』Les Origines culturelles de la Révolution française(1990年) は,ダニエル・モルネの『フランス革命の知的起源』Les Origines intellectuelles de la Révolution française 1715-1787(1933年) から50年を経た歴史学の新しい検証方法を名実ともに示している.こうした歴史学の変化が,「マザリナード文書」にも資料として光を当て,歴史学者と文学者が同じコーパスを共有する可能性が生じたのである.
19世紀のモローの時代には考えられなかったことであろう.それまでは〈フロンドの乱〉の副産物,量だけはあるが,玉石混交とみなされていた資料体が,豊かで多面的な研究の資源になったのである.キャリエは最初の著作で予告したとおり,つづけて「マザリナード文書」における17世紀文芸の集成『戦う詩神たち』 Les Muses guerrières(1996年)を出版した .

こうしたフランスにおける状況とは対照的に,日本における「マザリナード文書」の研究は立ち遅れているといわねばならない.17世紀に対する関心も,ともすればルイ14世の時代に傾きがちである.確かにそれは〈偉大なる世紀〉Grand Siècle なのだからやむをえないのかもしれない.とりわけ〈フロンドの乱〉の時代には,この太陽王がまだ未成年であった.翻訳でなく,独自のアプローチを試みているのは千葉治男の「フロンドの乱をめぐる諸問題」 があるものの,全般に日本での研究は絶対王政下の法制度や官職制度などの領域の方が活発であるようだ.これは残念なことというしかない.なぜならば,わが国には,フランスで現在,歴史コーパスとして再評価されつつある「マザリナード文書」の,たいへん質の高いコレクションが存在するからである.
1978年に日本に購入された44巻の「マザリナード・コレクション」は東京大学総合図書館に保管されている.このコレクションは由来を異にする5つの下位コレクションからなり,その文書数は「2600点を超す」といわれている.先ほども述べたように,「マザリナード文書」への関心は長らく古書市場により支えられてきたのだが,それにしても,これだけ大きなコレクションが市場に出ることはやはり稀なのである .
こうしたコレクションが日本に存在しながら,資料体として活用されない理由は,おそらく,その存在が知られていないからではないだろうか.それゆえ,東京大学のコレクションをコーパスとして利用できる状態に整えることが,今後の研究にとって不可欠といえる.小論は,そのための基礎作業の一環として執筆された.
東京大学コレクションがコーパスとして活用されるためには,次の3点が必要であると考えられる.1) 「マザリナード文書」についての基礎的な考証を提供すること.2) 東京大学コレクションについて,それがどのようなものかを正確に記述して残すこと.3) コーパスとして利用できる状態にコレクションの環境を整備すること,である
1) については,本論の第1部が相当する.最初に一般的な認識を,辞書による定義から求め,この文書を生み出した〈フロンドの乱〉とマザランについて歴史的背景を考察した.これは第2部でじっさいに「マザリナード文書」を参照するときに必要となるもので,後の便利を図るため,記述に年表を加えた.そして最後に《 mazarinade 》という名称の語源となったポール・スカロンの作品『ラ・マザリナード』La Mazarinade (1651年)のテクストを,じっさいに〈フロンドの乱〉のときに流通していた文書から再現し,内容を紹介した.
2) については,第2部において,コレクションが現在どのような状態で保管されているのかを説明し,コーパスとして利用するために不可欠な「目録」に不備があり,改善の必要があることを指摘した.そしてあらためて,不明であった全体の由来と各巻の特徴を調査した.最後に,第1部で得られた一般的認識と第2部で得られた物理的に存在する「もの」としての「マザリナード文書」との隔たりを埋めるために,語義の歴史的変遷を考察し,最終的に「マザリナード文書とは何か」という問いにどのように答えられるかを述べている.
第2部の後には東京大学コレクションにあるといわれてきた「モローの目録にない」とされる「225点の文書」に関する調査結果をまとめた.もはや未発見文書が見つかる余地はないといわれているだけに,結果が注目される調査である.そしてコレクションの写真を最後に掲載した.
3) にあげた,このコレクションをコーパスとして使えるようにするための整備としては,新たに目録を作成した.これは正式な目録を作成するための資料となる,あくまで「暫定的な」目録だが,ページ数が多いために,本文とは別立ての, 2分冊*にしてある.さらにモローの目録から入って,コレクションの文書を探すときのために,この目録の最後にはコンコルダンスをつけた.この作業によって,少なくとも,東京大学コレクションにどのような文書があるかという,もっとも基本的な情報を提供することはできるだろう.                             *3分冊
なお,この資料の作成は,1997年春,ユベール・キャリエ氏自身から,パリのサント・ジュヌヴィエーヴ図書館でじっさいに作業をしながら教えられた方法にしたがった.ひとつひとつの文書を記録する基本的手順はおよそ以下のとおりである.
1) 文書をモローの目録と照らし合わせ,タイトルを確認する.モローのタイトルと異なる単語や綴りが出てきた場合には,モローの目録に記録する.
2) 製本されている場合には,背表紙などにある表題を記録する
3) 複数巻ある場合には,何巻にその文書があるか記録する.
4) 装丁の特徴(革の質,装飾などの外観)を記録する.
5) 蔵書印を写し取る
6) 製本されている場合には,その巻に「真正のマザリナード」いくつがあるか数える.
7) 装丁の年代を記録する.
8) 版画を記録する.
9) その他の印刷の特徴を記録する.
10)後から書き込まれたものを転写する.
「マザリナード文書」の状態は単体であったり,合本されていたり,装丁が壊れていたりといろいろなので,その文書によって,記録の組み合わせは異なる.東京大学コレクションの記述においては,その都度これらの項目のいくつかを組み合わせることになった.なお,6)の調査項目に関しては,今回の目録作成作業では省略した.「真正のマザリナード」という考え方には異論の余地もあり,当然,定義の問題とも関わってくる .本論は,その議論の前段階にあるもので,東京大学コレクションに収録されるすべての文書を記述し,全体を把握することがこのたびの最優先事項であるからだ.
こうした作業手順をここで紹介するのには,もうひとつの理由がある.本論において詳しく述べられるが,現在,トゥール大学ルネサンス高等研究所で作成中の「マザリナード文書」の新しい総合目録はキャリエのこうした調査に基づいているからである.そして,この新しい目録は,すでに調査を終えたものに加えて,2,000点を超すコレクションはすべて調査することになっている.「2,600点を超える」東京大学コレクションの精査が急務とされたゆえんである.この目録作成の過程で得られた発見は,当然ながら,新しい「全マザリナード文書の目録」にも反映されることになる.
こうした目的と背景をもつために,この小論は,日本におけるより広い領域の研究者に「マザリナード文書」を紹介するため,本文には日本語を,そして目録の記述にはフランス語を使用することになった.(凡例は本文の延長として,今回は日本語を使用している.)著者は,このコレクションが資料体として,より多くの人に役立ち,新たな研究を生み出すことを心より願うものである.

Notes :

  1. 《 mazarinade 》という単語は,フランス語で使用されるときに,大文字で始める場合と小文字で始める場合で意味が異なっている.大文字のMazarinadeはこの名称で呼ばれる文書の総体,小文字のmazarinadeはひとつひとつの文書を指す.日本語表記としては,コレクションなど集合としてあらわす場合には「マザリナード文書」とカギ括弧に入れる.個々の文書は,単に「文書」,あるいはかぎ括弧をとってマザリナード文書とする,しかしながら,本論では《 mazarinade 》という言葉の意味を論じているので,文脈によって,意味に揺れのあることを強調する場合には,カギ括弧をつける場合もある.また,この序文の2ページ目にジュオーの言葉の引用としてでてくる《 mazarinade 》という語は,個々の文書であると同時に「行為」としての側面をいっているので,あえて訳文では「文書」という表現をつけなかった.
    2. Célestin Moreau, Bibliographie des Mazarinades, New York, Johnson reprint, 1965, 3 vol. (Reprint de Paris : Jules Renouard et Cie [pour la Société de l’histoire de France], 1850-1851).
    3. Christian Jouhaud, Mazarinades, la Fronde des mots, Paris, Aubier, 1985.
    4. Hubert Carrier, La Presse de la Fronde (1648-1653) : Les Mazarinades. La Conquête de l’opinion, Genève, Librairie Droz, 1989.
    —?Id., La Presse de la Fronde (1648-1653) : Les Mazarinades. Les Hommes du livre, Genève, Librairie Droz, 1991. この著作は,著者自身も含め,図書館でも,これらの2巻を副題によって区別しているようである.本論にも頻繁に交互に引用するので,単に前掲書「op.cit.」だけでは混乱するため, 1巻目をCarrier, La Conquête de l’opinion,2巻目をCarrier, Les Hommes du livreと表記する.この序論につけた註 8を参考にご覧いただきたい.
    5. Jouhaud, op. cit., p.237.
    6. Ce livre n’est pas une thèse sur les mazarinades. Mais une étude de mazarinades. ? Ibid., p. 17.
    7. (…) je ne sais si une vie suffirait pour les (=cinq mille mazarinades) analyser toutes complètement (…) ? Ibid., p. 17.
    8. Carrier, La Conquête de l’opinion, pp. 29-33.
    9. Roger Chartier, Les Origines culturelles de la Révolution française, Paris, Seuil, 1990. [シャルチエ『フランス革命の文化的起源』松浦義弘訳,岩波書店,1999年]
    10. Daniel Mornet, Les Origines intellectuelles de la Révolution française 1715-1787, Paris, Armand Colin, 1933. [モルネ『フランス革命の知的起源』上下,坂田太郎・山田九郎訳,勁草書房,1969/71年]
    11. Hubert Carrier, Les Muses guerrières. Les Mazarinades et la vie littéraire au milieu du XVIIe siècle : courants, genres, culture populaire et savante à l’époque de la Fronde, Paris, Klincksieck, 1996.
    12. 『歴史学研究』1966年.
    13. 日本が購入したのとほぼ同じ時期に市場に出たもっとも大きなコレクションのひとつに,1968年にアメリカに渡った2334点の製本されていない文書のコレクションがある.Cf. Carrier, La Conquête de l’opinion, p. 16, note 81.
    14. 「真正のマザリナード」という考え方は,「何をもってマザリナードとするか」という問題と切り離せない.それは本論の結論とリンクする.現時点で,著者が「真正のマザリナード」か否かという鑑定の立場を取らないことは,その結論によって理解されるだろう.なぜなら,問題は,これらの文書をもとに,各々の研究者がどのような資料体としてそれらを対象化し,再編するかにかかってくるからだ.
マザリナード文書とは何か – 序論
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