論文題目 マザリナード文書とは何か

論文の内容の要旨 論文題目 マザリナード文書とは何か ――コーパスとしての東京大学コレクション―― 氏名 一丸 禎子 フランス史には,印刷物が大量に出回る時期が3度ある.16世紀末の〈宗教戦争〉,17世紀中頃の〈フロンドの乱〉,18世紀末の〈大革命〉である.「マ ザリナード文書 mazarinade」と呼ばれるのは〈フロンドの乱〉の時期に出たものである.現存するものはおよそ5,200種類あるといわれ,その圧倒的な量と,語 られている内容の信憑性の問題ゆえに,長い間,歴史学者からは敬遠されてきた.しかしながら,1980年代後半に発表されたふたつの著作により,フランス における「マザリナード文書」の研究環境は大きく変化する.ひとつはクリスチャン・ジュオーによる『マザリナード:言葉によるフロンド』(1985年)で あり,もうひとつはユベール・キャリエによる『〈フロンドの乱〉(1648-1653年)の出版物:マザリナード文書』(1989-91年) である.前者はいくつかの文書を事例として取りあげた歴史社会学的研究だが,従来のアプローチとまったく異なっている.これらの文書を同時代人の「証言」 として扱うのではなく,文書が「何をしたのか」に注目し,発言を行為として観察したのだ.一方,後者は,「マザリナード文書」全体を考証の対象にした.第 一巻が〈フロンドの乱〉の各陣営による文書の出版を検証した「世論の征服」,第二巻が,そうした文書を支えた当時の出版と流通に関する詳細な記述となって いる.今日,「マザリナード文書とは何か」という問題を考える上で,キャリエのこの国家博士論文をしのぐ包括的論考はない. このふたりの研究者は,しかし,それぞれが異なる領域から出発して「マザリナード文書」というコーパスにたどりついた.ジュオーは歴史学者であり,キャリ エは17世紀文学の研究者である.「マザリナード文書」が,このように学際的コーパスとして再評価されるようになった背景には,アナール派の研究者たちが 1960年代以降,積極的に研究領域を人々の生活や文化にまで広げていったことがある.彼らは印刷物の社会的影響に注目し,特にロジェ・シャルチエは書物 や読書の歴史に関する論考により,テクストが「意味をもつ」のは紙の上だけでないことを示した. 一方,日本における研究の現状は,このようにして再評価されつつある「マザリナード文書」の2,600点 を超すといわれる東京大学コレクションがあるにもかかわらず,資料体としてはまったく活用されていない.主な理由は,その存在が知られていないからであ る.しかし,このように「マザリナード文書」を取り巻く研究環境が大きく変化した現在,本コレクションをコーパスとして利用できるようにすることが,まず 何よりも必要である.よって,この小論はそのための基礎作業の一環として執筆された.本論は,次に述べる順序で,「コーパスとしての東京大学コレクショ ン」を検証し,最後に,この資料体をより整備された状態で,より多くの研究者に開くために,今後作成される目録の第一段階となる資料を添付する. 初めに,第1部では,辞書の記述に基づいて,「マザリナード文書とは何か」という基礎的な考証を行なう.「マザリナード mazarinade」が,固有名詞「マザラン Mazarin」と接尾辞「-ade」の結合により派生した集合名詞であることを確認し,現代の代表的なフランス語辞書,『TLF辞典』と『グラン・ロ ベール辞典』から,「マザリナード文書」と呼ばれるものは,シャンソンや誹謗文書などの形をまとった「言語表現」であり,内容は「反マザラン」,公表され た時期が「〈フロンドの乱〉」であるという3つの要素を抽出する(第1章).次に,こうした辞書の定義をよりよく理解するために,この言葉の歴史的背景で ある〈フロンドの乱〉および宰相マザランについて,最新の歴史学の考察を参照する.「反マザラン」は〈フロンドの乱〉において,多様な利害をかかえる諸派 を団結させたスローガンであった(第2章,第3章).そして辞書がこの言葉の語源とみなす,スカロン作『ラ・マザリナード』(1651年)の全文を,17 世紀に,じっさいに流通していたテクスト(東京大学コレクションC-11-7)から再現し,その内容が,きわめて暴力的な「反マザラン」の誹謗中傷文書で あることを確認する(第4章).第1部の結論としては,辞書の記述による限り,確かに「マザリナード文書」とは,「〈フロンドの乱〉の時期の反マザラン感 情を明らかにした文書である」といえよう. 第2部では,じっさいに「もの」としての「マザリナード文書」がどのように存在するかを,東京大学のコレクションをひとつの事例としてつぶさに見ていく. 手初めに,東京大学図書館月報『図書館の窓』の文章から,本コレクションが購入された1978年 当時の,日本の研究者による認識を見る.それ以後,「マザリナード文書」への体系的な言及は皆無であるゆえ,この認識は今日まで持続しているものと考えら れるのだ.また,購入時にこのコレクションに添付されてきた目録がコレクションの内容を正しく反映していないことを明らかにする(第1章).コレクション と研究者をつなぐ目録は,コーパスのインターフェイスとしてきわめて重要である.「マザリナード文書」の場合には,各コレクションの収録文書をすべて記述